擬人化三部作が本誌に掲載されていた時にそれぞれをちらっと立ち読みしたのですが、そのあまりのメッセージ性の強烈さ、というかあまりな“そのまんまさ”がとても苦手でそれっきりになっていたのです。
ですが先日、ふとした拍子に知人がこの本を貸してくれ、それで描きおろしの表題作も合わせて通しで全て読みました。
ものすごい勢いで泣いた。
内容に感動したわけではなく、被災地のことを思ったわけでもなく、ただこの作品を描かずにはいられなかった「萩尾望都」という人の心にダイレクトにぶちのめされて泣きました。
話はいきなり変わるのですが、チャップリンの作品にナチズムへの批判と風刺を描いた、『独裁者』という映画があります。この作品の終盤で、チャップリンその人が、人類かくあるべしといった内容の演説を行うのですが、この演説は作品というよりもチャップリン自身の心情の吐露とでもいうべきもので、この挿入の評価は賛否が非常にわかれるらしい。
CinemaScapeにあるペンクロフさんという人のレビュー(こちらのレビューは文章もとても好きなのでよろしければ読んでみてください→
どうしても声を大にして言いたいこと)が、まさにそのまま私が『なのはな』に対して思ったことで、例え賛否がわかれようが表現が直接的すぎると言われようがそんなことは彼女は百も承知のうえで、それでも『なのはな』を描かずにはいられなかったのだと、そのことがよくわかった。
ここにはむきだしの心がそのまま置かれています。そのことへの賛否はむろんあるだろうけれども、しかしわたしたちはここから目を背けるべきではないのです。そうやってなあなあにしてたから今こういうことになってるんだしさ。
そしてあの惨状をみて、さまざまな取材を行って、その上で彼女が「肯定」を紡いだことがすごいと思うのです。ぶっちゃけそんな根拠なんてどこにもないし、ニュースなんてみればみるほど悲観的になっていくのに、でもここで紡がれた肯定がどんなに世界の希望となるか。
わたしはもう、すっごく頑張らないとそんな風に信じることは出来ないのですが、それでも明日はいい日だと思って生きていった方がぜったい、良いのだと思うのです。ねえディーター。